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和歌で尋る『奥の細道』黒羽

日光  ●二荒山 沈む夕陽を 背に受けて 薄紫に ご威光放つ

日光を後にして今市に戻り、そこから左に国道461号の日光北街道を走ります。鬼怒川にかかる大渡橋から左手の女峰山系を遠望すると、神々しい山々に刻々と沈んでいく夕陽の美しさに酔って、しばらく橋の上でたたずんでしまいました。芭蕉達は玉生では翌朝トロロ飯を食べて矢板、大田原、黒羽へと急いで向かっています。途中広々した那須野ケ原が目の前に広がり、行く方向が分からなくなったので農夫に尋ねると、馬を貸すから乗っていけと言うので馬をかりました。一緒に付いてきた子供は、かさねと言います。このあたりの情景は、奥の細道のなかで唯一、牧歌的な感じを受ける所です。
【聞き慣れぬ名のやさしかりければ、かさねとは 八重撫子の 名なるべし】今の薄葉は水田が広がり舗装された農道が走り迷うことはありません。

黒羽  ●禅寺の 静まりかえる 雲厳寺 今も昔も 五月雨ふりて

芭蕉達は黒羽藩の家老である浄法寺図書(俳号桃雪)と、その弟の鹿子畑善太郎(俳号翠桃)の所に、2週間ほど滞在し、その間、那須与一のゆかりの修験の寺、即成山(そくじょうざん)光明寺、金丸八幡、西教寺、哀れ殺生石となった九尾のキツネを祀る玉藻稲荷社、不在ではあったが仏頂和尚の雲厳寺を参拝しています。しかし桃雪や翠桃と十年ぶりの再会とはいえ、なぜこんなに長く黒羽に滞在したのか理由は分からないのですが、これから奥の細道の義経供養の旅がはじまることは間違ないことです。
【夏山に 足駄を拝む 道途かな】芭蕉
芭蕉が仏頂和尚を慕って訪れたという雲厳寺は黒羽の町を東西に結ぶ那珂橋を渡り、大子に向かう国道を12キロほど車で20分ほどで着きます。広い駐車場から道路を横断し、赤い太鼓橋を渡り石段を登ると正面に釈迦堂、獅子王殿が一直線に並びます。登り切った境内はひっそりとしていて芭蕉達の痕跡や案内は見あたらず、下界とは隔絶された感のある禅寺です。
【啄木鳥も庵は破らず夏木立】芭蕉

芭蕉達は大地主で回米問屋の高久覚左衛門の家に二泊して那須湯本・殺生石に向かいます。


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