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和歌で尋る『奥の細道』乙字ヶ滝

もう少し白河関の話しをします。芭蕉が歩いた旧奥州街道と白河関があった古奥州街道は平行しているものの伊王野から白河までは山を夾んで右側を通る坂本白河線と左側を通る国道294線とに別れています。義経が鎌倉に上るときに走った中世の奥州街道は坂本白河線になるわけです。この街道を白河の関から2キロほど南下すると追分明神に着きます。車一台が通れるほどの街道から苔むした細い石段が続き、見上げると小さな祠が見えます。ここが義経が平家追討の祈願をした追分明神だとすると、芭蕉はぜひに尋ねたかったはずです。白河関を後にいよいよ義経供養の巡礼の旅がはじまります。

    ●阿武隈の 乙字ヶ瀧の やさしさよ 人を飲み込む 怖さを秘めて

芭蕉は白河を経て矢吹に泊まり須賀川に着くと深川以来の交流があった諸色問屋の相楽等躬のところに7泊8日を過ごしています。等躬はこの地の俳諧の中心的な人だったので、おおいに芭蕉をもてなしました。須賀川を発つ日に俳人たちの勧めもあって奥州街道を行かず、石川街道を迂回して阿武隈川にかかる乙字ヶ滝を見物しています。川床全体が切れ落ち込み落差はたいしたことはないのですが、川幅一杯に広がる光景は息を呑むものがあります。夕刻もせまり宿に引きあげましょうと声を掛けるのですが、滝の壮観さに作家のS先生は長いあいだ佇んでいます。特に乙字ヶ滝は夕闇がせまると深い闇に引き込むような危険な場所なので、川辺に何時までも立ちすくんでいると危ないですよ。とご注進申し上げたのにまったくひどい話しになりました。
「奥の細道」の連載誌にそのことを理解されず書かれてしまい不覚をとりました。
 「ごめんなさい。すっかり待たせてしまったわね」あやまりながらその顔を見ると、血の気を失って青白い。「どうしたの?気分でも悪くなったの?」と言いかけて、私は気づいた。Kさんは体躯堂々。空手道場にかよう偉丈夫なのに、じつは見かけによらず気が小さい。林中のあちこちに建つ水難者供養の石塔や墓‥‥。それが怖くて、じっとひとところに立っていられなかったのである。「しっかりしなさいよ。彼らの命を奪ったのは水ですよ。冥福を祈っている私たちに、祟るわけはないでしょう」
「そうですよねえ」と頷きながらも、Kさんのそわそわは止まらない。理性では判るのだが、怖さ気味悪さは抑えようがないらしい。仕方なく滝に見を切りあげ(さようなら。安らかにお眠りくださいね)そう心の中で死者たちに別れを告げて、私は堤防下に止めてある車に乗り込んだ。(2004オール讀物連載)
雑誌の発売日にS先生に抗議を申し込んだのは言うまでもありません。しかし電話の向こうで「本当のことでしょ」と一喝されました。作家と編集者との信頼関係にひびは入りませんが、滝よりも女性の怖さを知りました。


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