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和歌で尋る『奥の細道』黒塚

乙字ヶ滝をみて後、阿武隈川を渡し船で対岸に渡り、その日は郡山に泊まっています。曽良の日記には「宿ムサカリシ」と書かれているので、きっと小さな特徴のない宿場だったのでしょう。翌朝早くに旅たち日和田の先にある安積山(あさか)に寄って「かつみ」の花を探しまわっています。
  ●安績山 影さえ見ゆる 山の井の 浅き心を わがおもはなくに(万葉集)
  ●みちのくの 浅香の沼の花かつみ かつみる人に恋ひやわたらん(古今和歌)
またこの地を訪れた藤中将、藤原実方が五月の節句に菖蒲を飾る代わりに「かつみの花」を飾れと土地の人に教えたという故事を意識して、芭蕉は「あやめ」をひとまわり小さくした「かつみ」を探し回ったのです。現在ではヒメシャガということにおちつき郡山市の市花になっています。歌枕のあさか山は小丘公園で、さくら祭りでにぎわいをみせたり、反対側に野球場があって市民の憩いの場所になっています。
 あさか山から旧奥州街道を20分ほど北上すると近世の要衝であった本宮に入ります。街道から左手に安達太郎山が裾のを広げ大きく美しく見えます。街道脇に安達郡の総社、安達太郎神社があって健脚な方は300段の石段を登ってみるのも一計ですが、左手に細い車道があるのでこちらを利用するほうが楽です。社殿の柱に維新の戊辰戦争で傷ついた鉄砲の傷跡が今も残っています。
 本宮を後に二本松に入ります。ここは謡曲『黒塚』で知られる鬼婆伝説があって街道右手の奥に観世寺が見え、境内の資料部屋には娘を食っている凄惨な鬼婆の絵巻物が展示されています。
  ● みちのくの 安達の原の 黒塚に 鬼もこもれりと いふはまことか(平兼盛)
自分の娘を食うなんてとんでもない婆ですね、とS先生に言うと「女の性で鬼婆になりたくてなったのではなく、かわいそうな婆なんです」と鬼婆の肩をもつものですから、「昔から鬼婆はいるのに、なぜ鬼爺というのはいないのでしょうね」とからかい半分に言ったものですから、あとの連載に女の私への、あてこすりだと書かれる始末、これからはもっと『奥の細道』に沿って文学性の高い取材をしなくてはと心を入れ替えた次第です。また近くに高村光太郎の妻智恵子の記念館もあって彫刻・詩・絵などを鑑賞すれば一気に文学の旅に変わること請け合いです。
●みちのくの 安達ヶ原の 道奥に 鬼のこもれる 大磐ありて
黒塚もなんとか無事に取材を終えていよいよ信夫の里に向かいます。シノブノサト、この音の響きに、なぜか懐かしさを感じます。
● みちのくのしのぶもぢ摺りだれゆえにみだれそめにし我ならなくに(古今和歌)
河原左大臣、源 融(とおる)と虎 女(とらじょ)の悲恋の伝説が文知摺観音の境内にある大きな石に伝わります。芭蕉は「早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺」と手首に着けて、しのぶ摺の艶やかな手甲や筒袖の動きを詠んで王朝の昔をしのび嵯峨天皇の皇子の融と虎女の供養しています。


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