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和歌で尋ねる『奥の細道』しのぶの里


● 信夫たつ 安寿と厨子王 幼くも 死生を越えて 母にいだけり 

 信夫の里にはもう一つの伝説が有ります。新幹線の福島駅から国道4号線越しに右手の方に椿山という小さな小山が見えます。ここは森鴎外の小説『山椒太夫』人買いの話しで知られる安寿と厨子王が国を立つ所が椿山です。日の本の将軍、岩木の判官、正氏殿は帝の勘気にふれ九州の筑紫安楽寺にえん罪で流されます。姉弟の父に会いに行きたいと慕う心にほだされて母と乳母は4人で国を立ち、いく夜も野宿をかさねて行く途中、直江の浦で人買いにあって母と離ればなれになってしまうという悲しい話しです。これは故水上勉先生と一緒に取材をして新潮社から出版された単行本『説経節を読む』のなかに書かれています。ここでなぜ姉弟の話がが出てきたかといいますと奥の細道の越後路のところで直江津(直江の浦)で芭蕉も句を詠んでいるからです。
  ● 義経に 信夫の里の 兄弟は 着き従へて 名をば残しぬ
 鉄道は福島駅からまもなく奥羽本線と東北本線とに別れます。東北本線沿いの奥州街道は、義経カラーがだんだん色濃くなってきます。そのはじまりは飯坂の佐藤基治の菩提寺、医王寺です。   笈も太刀もさつきにかざれ紙のぼり(芭蕉)
謡曲『摂待』は継信・忠信の母が山伏の接待をしているとき、都を逃れてきた義経主従が立ち寄ります。そのとき弁慶は屋島の合戦で義経の身代わりになって兄の継信が亡くなったこと、弟の忠信が敵を討ったことを語って聞かせます。けなげにも遺児の鶴君が亡くなった父を偲びながら、主従12人に酒を給仕するという物語です。
 医王寺は生前、三波春夫さんと佐藤一族の供養をかねて参詣したことがあります。
一門をあげて悲運の道へ落ちていったとされる佐藤基治の妻は鎌倉勢が攻めてきた後、落ち延びて新潟に入ったと、越後に歌として残っているから間違いないと三波さんはおっしゃったけれど、地元の関係者はそんなことはないと意見が分れたのです。
 飯坂から6キロほどで伊達郡桑折町に入ります。ここは伊達氏の発祥の地です。幕末期は幕府の直轄領でしたが、維新とともに明治政府に接収されました。しかし東北戊辰戦争の影響下、伊達郡の住民は新政府に反抗的だったと言われています。
桑折の町からまもなく厚樫(別名国見)山の麓、東北屈指の古戦場に着きます。
 天下統一を目指す頼朝は平泉攻略に打って出ます。これを迎え撃つ泰衡(やすひら)
の奥州軍は厚樫山の麓、伊達の大木戸で激戦になるのですが、圧倒的な数を誇る頼朝軍の前に、佐藤基治も討ち死に総崩れになりました。約100年、三代にわたって栄華を誇った奥州平泉が滅びゆく因縁の地でもあります。芭蕉は「道縦横に踏んで伊達の大木戸を越す」とありますが、激戦で戦死した人々の霊を鎮めるため天地東西南北の六方に足踏み(相撲の四股)をして越えたということです。


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