So-net無料ブログ作成
検索選択

和歌で尋る『奥の細道』武隈の松

 古戦場を後に国道を暫く走ると宮城県に入り馬牛沼を左に見ることになります。そこからすぐに右の旧道に入ると鐙摺坂を下ります。奥州から南下する義経の軍勢がこの坂を通ったとき道が狭いので鐙をこすったと言われている所です。
● みちのくの こおりの桑折 桃の里 右は奥州 左は羽州
鐙摺坂を下ると右手に坂上田村麻呂を祀った田村神社があります。ここに
昭和初期に建て替えられた甲冑堂があって、継信、忠信の妻の楓(かえで)と初音(はつね)の美しい甲冑姿が再現されています。というはずなのですが、この日は雨模様のため金網ごしに中は暗くよく見えませんでした。
 30分程で白石(しろいし)に入ります。旧街道に面した竹駒神社に寄ります。この古社は陸奥の国守だった小野篁(たかむら802〜852)の勧進によって9世紀の前半に建てられたと言われています。随身門を通り次の向唐門にゆきあたると、浅草の雷門に吊されている大提灯のような大きな提灯が日本三大稲荷のひとつを誇示しているように吊されています。
 近くにみちのく入りの際は挨拶が習慣になっていると言われ、能因法師や西行も尋ねている「武隈の松」があるので歩いて行って見ます。
●武隈の 松はこのたび 跡もなし 千年を経てや 我は来つらむ(能因)
能因法師が再び尋ねたとき、跡形もなく無くなっていたので嘆いて詠んだ歌です。どんな姿をしている松かと思って行ってみると、たしかに道路沿いに根本から二木に別れて空に伸びている松がありました。何度か伐られ植え継がれ、今の松は7代目と称しています。松の木や柳の木が口伝で1000年も受け継ぎ、心の歴史を大切にして行くところに、日本の精神文化の特徴があるのだと気がつきます。
● みちのくの 二木の松に ご挨拶 歌人にならい めでたき松よ
この後、悲運の貴公子藤中将実方の笠島を尋ねます。芭蕉は実方の墓はどこかと土地の人に聞くと、「これよりはるか右に見ゆる山ぎはの里を、蓑輪・笠島と言ひ、道祖神の社・かたみのすすき、いまにあり」と教えます。
藤原実方は円融・花山・一条の三天皇に仕えた平安中期の歌人です。
蔵人頭の行成は「歌はおもしろしろいけど実方は愚か者」と言ったことに恨みを抱き、殿上で口論となり、行成の冠を打ち落としてしまいます。この事が原因で主上から「歌枕見て参れ」という命を受け、陸奥守に左遷され、後にこの地で没っするのです。ここは以前、荒俣宏さんと取材に来たのですが、なにかちょっとしたことでも「歌枕見て参れ」というのが口癖になった事を思い出します。著書『歌伝枕説』世界文化社1998発行。
道祖神の社とは笠島の道祖神社のことで、この神社の前を実方は馬に乗ったまま通ろうとしたため、神罰が下り、落馬して亡くなったと伝えます。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行・地域(旧テーマ)

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。