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和歌で訪る『奥の細道』尾花沢

能因、西行、義経の史跡をたどり平泉まで来まできた芭蕉は、ここを北限として南にきびすを返し、岩出山から奥羽山系を越えていよい日本海側に向かいます。
 私も車を反転させて達谷窟を後に岩出山町まで南下し右に折れて最上街道47号線を鳴子に向けて走ります。この鳴子の由来は義経の奥方が出産して赤子が泣いたのが転じて「啼き子」から「鳴子」に、尿前の関もその若君が初めてオシッコをしたところから「尿前」だと伝わります。
 尿前から中山峠を越えて6キロほどで奥の細道の最大の難所といわれる山刀伐峠(なたぎり)を越えて山形県の尾花沢に降りるわけですが、旧峠道は細いので車の通行が可能なのか心配したのですが、幸い対向車がこなかったので難なく越えることが出来ました。尾花沢は羽州街道の旧宿場町として発達したところで、芭蕉は、尾花沢の豪商、紅花を江戸、京都、大阪へ運んで商売をしていた俳人でもある鈴木清風に歓待され11日間も滞在しています。清風の案内で近くの養泉寺に宿を移し、歌仙を巻き7泊しています。
 養泉寺は上野寛永寺の直末の寺で山寺と同じように慈覚大師・円仁によって開基されています。門前を旧羽州街道が走り、坂を下ると目の前に田圃が広がり、その地平線の奥に葉山が大きく裾のを広げる雄大な姿を現します。また右脇から月山が姿を見せることがありますし、天気のいい日には鳥海山まで望む事ができます。旧羽州街道の巾2メートルもない土の道を歩くと昔の時間が流れているような錯覚に陥り、まして雲の切れ間から陽が差し込み田圃を照らす出羽の自然の美しさには、ただただ畏敬の念に満たされます。奥羽山脈の左に位置する出羽国、山形は月山、湯殿山、羽黒山を称した出羽三山と鳥海山、磐梯朝日国立公園、蔵王山があり、まさに神々が降臨する信仰の山々が連なるのです。
 芭蕉も奥の細道の中で唯一、土着の文化に触れながら山形には一番長く滞在しています。また尾花沢だけでなく、酒田、鶴岡でも地元の人達と歌仙を巻くことができるということは、文化的にも非常に高かった証だと思います。その文化を支えた大きな要因は河村瑞賢の開いた西回り航路と酒田には天領の御城米の蔵があって千石船が盛んに出入りした物流の拠点があったことです。
 朝日岳にどうして朝日という名がついたのか山形で朝を迎えたときに初めて納得しました。当たり前の話しですが太平洋側に住んでいる私は、朝日は海の地平線から上ってくるので海に名前は付けませんが、出羽の国では山から朝日が顔をだすのです。
それで朝日岳というのかと、いたく納得する始末です。

  ●朝日岳 山の峯から 顔を出す 朝の光は 今日の始まり

出羽国、山形の旅は、当たり前のことに感謝する日々を重ねました。


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