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和歌で尋る『奥の細道』立石寺

 尾花沢の養泉寺からは奥羽本線に沿って50キロほど南下して天童市にある人気の観光名所の一つ立石寺に向かいます。観光バスがひっきりなしに出入りするので隙間に駐車して、石段を登り立石寺本堂を参拝します。山門に向かう途中に曽良と芭蕉が岩に腰かけている銅像があって、側の石に「閑かさや 岩にしみ込む 蝉の声」の句碑が刻まれています。また5分ほど歩くと、立石寺の山門に行き当たりますが、ここでも拝観入場料を払い千段以上の階段を登らなければなりません。しかし途中に休憩所の売店があり冷えたビールに熱々のコンニャクがあって極楽です。

● 山寺の 修験のこもる たて岩に 谷風わたり 蝉声きこゆ 

 岩にしみ込む蝉の声の「蝉」の種類について文学者の小宮豊隆のニイニイゼミ説と歌人の斉藤茂吉のアブラゼミ説が論争したことがあります。結局小宮の説に落ち着きましたが、都心ではこのところニイニイゼミの声を聞くことは出来ません。アブラゼミニ始まって昼のミンミンゼミと夕方少しのヒグラシで夏が終わります。ここでは蝉の声を通して文学と風土の関わりあいを体験します。デスクワークではなくフィールドワークといったところです。
 芭蕉はかつて伊賀の上野の藤堂主計良忠に仕えていました。芭蕉より二つ年上だった良忠は北村季吟の門下の俳人で俳号が「蝉吟」(せんぎん)と云います。二人の結びつきは強く、25才の若さであの世に旅たった主君の部屋の前で芭蕉は殉死しようとしたくらいです。
 「しずかさや」の蝉は幼虫の時間が長く、地中で5、6年過ごし、その間4回の脱皮をくりかえして成熟し、地上に出て羽化して成虫となって数週間で死んでいきます。
蝉の声には祖先の霊魂と自分を結ぶ糸の役割があると考えられますから、夏の間だけ啼いて、はかなく死んでしまう短い蝉の命に、主君の良忠が重なったのでしょう。

 初めに話しましたが、『奥の細道』は歌仙を巻き名所旧跡を訪ねる旅ではなく、歴史に登場する聖霊、たとへば日光瀧尾神社の空海大師、黒羽の那須与一、役の小角、芦野の西行、白河関の源頼政、平兼盛、在原業平、源実朝、黒塚の安達ヶ原の鬼婆、飯坂の佐藤継信、忠信、信夫ノ里の源融と虎女、笠島の藤原実方、多賀城の坂上田村麻呂、塩竃の和泉三郎、平泉高館の義経主従、山寺の自覚大師、藤堂主計良忠、出羽三山開祖の蜂子皇子、象潟の西施、能因、富山県滑川の大伴家持、金澤の小杉一笑、那谷寺の花山天皇、山中温泉の行基、小松の斉藤実盛、永平寺の道元禅師、倶利伽藍峠の木曽義仲、等の供養を目的とした旅です。その証拠に芭蕉が訪ねた多くの場所は山岳信仰のメッカ、神社や古刹です。


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