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和歌で尋る『奥の細道』大石田

山寺を後に山寺街道から羽州街道に戻り大石田に向かいます。大石田に着く頃は陽もだいぶ山端に近づきましたので宿の心配をしなくてはなりません。ここまで来たら足を伸ばして久しぶりに銀山温泉の湯にとっぷりと浸かろうと思ったのですが、あいにく宿はどこもふさがっていて断られました。予約を入れないのがいけなかったのかとがっかりです。駅の近くの宿を紹介されましたが、旅の途中で泊まる所が決まらないのはなんとも不安で心細い限りです。
 大石田は古い川港で芭蕉が訪れたころは野辺沢銀山が最も栄えていて毎日のように酒田から大量の物資が船で最上川を上下していました。
西光寺の境内には「五月雨を集めて涼し最上川」の句碑が残されています。この句は最上川の対岸の黒滝村にある曹洞宗の名刹、向川寺に参詣した時に得られたらしいのです。
 新庄は最上川を離れ、途中から奥羽本線に沿って走ると1時間ほどでつきます。芭蕉は新庄でも歌仙を巻いて俳諧指導をしています。
 実は山形に入ってから気が付いたのですが、これから月山を中心に尾花沢、大石田、新庄、本合海、出羽、鶴岡、大山、温海、中村と左巡りをすることになるのです。
 この左巡りというのは神代のこと、女神と男神が初めて顔を合わしたとき、天の御柱に向かって女神は右に立ち、男神は左に立ち、女神は左巡りに、男神は右巡りに御柱をまわりました。そして言挙げは女神が先に「ア、いい男ですね」と言い、男神は「ワ、うれし乙女よ」と言いました。しかしこの巡り方は宇宙原理に従えば、巡りも、言挙げも逆と言うことが分かり、改めて女神は右巡り、男神が左巡りをして国をつくりました。
というわけで、なんとなく左巡りは気持ちがいいのです。この御柱にあたる月山を、これから遠く左手にいつも眺めることができます。
 森 敦(もりあつし)の小説『月山』は一人の旅人が七五三掛(しめかけ)村で一冬過ごす秘密めいた物語の舞台、注連寺に「すべての吹きよするところ これ月山なり」の碑が残されています。

   ●月は出で 出羽の三山 照らすとも 月山のみが 白く応えし

 新庄から芭蕉が川下りの船に乗った本合海まで30分位で着きます。ここは最上川が蕩々と流れて大きな岩盤にぶつかり、ちょうど90度に曲がるところで、その壮観さにしばらく佇んで見ていました。川下の古口まで20分程で着いたので草薙まで船で下ることにします。
芭蕉はもう少し下流の清川で下船し、庄内平野を右手にみながら、羽黒山まで徒歩で登ります。


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