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和歌で尋ねる『奥の細道』出羽三山

清川は『義経記』に羽黒権現の御手洗(みたらし)なり、とありますから、羽黒山の参詣のとき手を洗い身を清める禊ぎの場所だったのでしょう。ここから羽黒の門前町の手向村まで車で30分くらいでつきます。元禄の芭蕉が来たころは宿坊が三百以上もあったのですが、現在は五十軒ぐらいです。着いた日に芭蕉は図司左吉に南谷の別院に案内されていますが、ここからが大変な道程なんです。まず随神門をくぐり急な階段を200段くらい下りて祓川に掛かる朱色の神橋を渡りますと、右手に須賀の滝が白糸になって落ちているのを目にします。そして少し進むと杉の巨木の左手奥に平将門によって創建されたという素木造りの五重塔がすっくと建っています。ここからいよいよ登りになるのですが、これが半端じゃないのです。杉木立に囲まれた階段は2400段以上有るのですから、いくら登っても疲れるだけでなかなか先が見えないのです。一の坂、二の坂と上り、三の坂の手前を斜め右に折れて、500メートルほど進むとやっと南谷の芭蕉が泊まった別院跡に着きます。

● 南谷 三百年の 歳月に 庭草しげり 礎石のこしぬ

別院跡は行き止まりなのでまた元に戻り、急階段を登り頂上を目指します。羽黒の山頂に着くと左手に茅葺きの三神合祭殿(羽黒山・月山・湯殿山)の羽黒神社が鏡池を前にして大きな姿を現します。ここは修験道羽黒派の本山で、32代崇峻天皇の皇子、蜂子皇子を開祖としています。境内には皇室陵墓参考地として指定された陵墓が本殿の反対側にあります。開祖蜂子皇子は顔の色は黒く長さは60センチ、鼻の長さ10センチ、めじりはつり上がり、口は耳まで裂けて狼のようだったようです。聖徳太子とは従兄弟の関係でしたが蘇我馬子に父崇峻が殺されたので、太子は修行僧になることを勧め「能除一切苦」という般若心経の句を授けたので皇子は能除大師とも呼ばれています。
 羽黒神社を後に車で小一時間走りますと月山の8合目に着きます。ここはレストハウスがある大きな駐車場になっていて観光バスも上がってきています。眼下に鶴岡の市街がみえますし、晴れていれば佐渡島も見えそうです。私が走り着いたときは空全体が夕焼けに染まり真っ赤でした。このとき初めて赤い夕焼けに酔いました。
 芭蕉は月山頂上から湯殿山に降りて、参拝し再び月山頂上へ登り南谷に戻りましたが、私は8合目から麓の羽黒に下り、回り道をして六十里越街道から再び湯殿山道路を登ります。湯殿山神社の下までは乗用車は入れますが、ここから専用のバスで登ります。
 バスを降りると、そこから徒歩で少し登り、また湯殿に向かって下りることになります。祓いを受けた後、裸足になって湯殿を参拝します。大きな茶色くなった岩の上まで、流れる湯に足を濡らしながらあがれるのです。出羽三山は他言禁制ですから、このへんで留め置きます。
 
 


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