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和歌で尋ねる『奥の細道』象潟

鶴岡は旧西田川郡役所(国重文)や、致道博物館があって、ちょっと明治の香りがします。

   ●鶴岡の 出羽を拝する 旅の宿 闇を切りゆく 夜汽車の汽笛

芭蕉は山王社近くの長山五郎右衛門(重行)のところに2泊していますが、今は一坪ほどの囲いの中に「芭蕉滞留の地長山重行宅跡」が残されているだけで昔を偲ばせるものはなく、ただ「長山小路」の名前が残されています。
 芭蕉は内川に架かる大泉橋のところから船で酒田に向かっています。
酒田までは20キロなので国道7号線を1時間ぐらい走れば着きます。
 まず観天望気をした日和山公園に行ってみました。ここ酒田は日本で一番古い木像六角灯台があって、河村瑞賢が開いた西回り航路と天領の御城米を集めた御米置き場に始まります。井原西鶴の『日本永代蔵』に酒田の大問屋として出てくる鐙屋邸(国重文)や豪商本間家本邸、本間美術館を見たりしてこの日は酒田に泊まります。

   ●九十九の 象潟島の 蚶萬寺 舟つなぎ石 陸にあがりし

 酒田を後に鳥海山を右手に見ながら象潟まで35キロを走ります。
芭蕉は「象潟や 雨に西施が 合歓の花」と西施のうれいをたたえました。
西施は楊貴妃と並んで絶世の美女の代名詞です。彼女は春秋時代(紀元前770〜478)に「呉越同舟」「臥薪嘗胆」などのことわざで知られている越が呉の国に敗れ臣従しなければならなくなったとき、呉の王を惑わせて国を傾けさせようと越から送り出された悲運の女性です。西施は後に呉の国を脱出し元の恋人と西湖におもむいて二人で入水したと言われています。
 芭蕉は太平洋側の松島を西施が「笑うがごとく」と述べたのに対して日本海側の象潟を西施の「憾むがごとし」と風景を対比させています。
 雨の象潟は彼女の愁いを秘めた趣がありますが、芭蕉の来遊から150年後に突然の大地震によって2、4メートルも海底から隆起したので、船を浮かべて島巡りをした当時の面影はありません。
 能因が三年幽居した能因島は田んぼの中にこんもりと盛り上がった塚になっています。
 新潟富山福井は越後、越中、越前と古く大和時代より越国と呼ばれてきたのは、きっと西施の住んでいた越の人達が昔、日本に渡ってきたのではないでしょうか。


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