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和歌で尋ねる『奥の細道』新潟

岩船神社の境内から岩船港が見下ろせます。この神社は古く航海の安全や漁業の神様として延喜式の磐船郡八座の筆頭に記されています。次の目的地である乙宝寺まで10キロ30分ほど走ります。
 今昔物語は12世紀前半に成立した1千有余の説話で描いた人間悲喜劇全集ですが、その中に出てくる乙寺(きのとでら)は名刹、乙宝寺のことなんです。山門をくぐると右手に三重塔があって、その佇まいから寺の格式と歴史の古さを感じさせます。
 芭蕉はこの先8キロ程あるいて築地(ついじ)に泊まっていますが、雨も降ってきましたので新潟の万代橋の近くにあるホテルに直行します。
 越後路の『奥の細道』には「病おこりて事をしるさず」と、四行しか記されていません。
   酒田の余波日を重ねて、北陸道の雲に望。遙々のおもい胸を
   いたましめて、加賀の府まで百卅里と聞。鼠の関こゆれ
   ば、越後の地に歩行を改て、越中の国一ぶりの関に至る。此
   間九日、暑湿の労に神をなやまし、病おこりて事をしるさず。
話しは一気に市振に行くわけですが、曽良の日記をみると越後路は二人にとって差別を受け心おだやかでない旅を経験したようです。紹介状を持っていたにもかかわらず宿を断られ、次の宿場まで歩き通したのです。越後は情報不足もあり二人を歓迎した人は少なかったようです。しかし今町をすぎ逆境の中で雄大なスケールの大きい「荒海や佐渡に横たふ天の河」の句を残しているのはさすが俳聖の芭蕉公とお見受けしました。
 越後路の四行の行間を歩くことにして新潟を出発、越後一宮の弥彦神社に向かいます。神社の裏手からロープウェーに乗ると一気に弥彦山の頂上に行けます。天気がよければ東は三条市から日本海の佐渡島まで見えるはずですが、この日は小雨模様で肌寒い一日でした。
 弥彦山を越えて寺泊に降りる途中に弘智大師(日本最古の即身仏のミイラ)を祀ってある西生寺があります。ミイラの本場は山形県で見てきましたので通過しようと思ったのですが、作家のS先生は事前に調べてあるらしく、「この近くに芭蕉が寄った西生寺があるわよね」とおっしゃったので「ハイ、取材の予定に入っていますから」と明るい声で答えましたが、
結果、必然的に境内に入ると一定の距離を保ちつつも行動は微妙に別々ということになりました。
   ●西生寺 最古のミイラ 守りおく 姿とどめて ながき人生
 寺泊に入り軽い昼食をとりました。ここは九世紀に旅の尼僧のために無料の宿泊施設をひらいたことから「尼寺の泊まり」と呼ばれ、後に寺泊となったようです。芭蕉はここを素通りして出雲崎に向かっています。


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