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和歌で尋ねる『奥の細道』市振

高田から再び直江津方面に向かい、国道8号の交差点を左に曲がり、五智國分寺へ行きます。五智國分寺は近年火事で三重塔の一部を焼き山門を残して全て焼失しました。
居多神社を参詣して日本海に沿って西下し能生の白山神社へ向かいます。
 白山神社のご祭神は白山姫ですが、他に二柱の大国主命と妃の奴奈川姫命を祀ります。大国主命が出雲の国譲りをして百八十人の神々を率いて青森の津軽アソ辺に国を遷されたときに越に寄り、その時に奴奈川姫を妃としたのでしょうか。
 神社と対面して丘の上に曲がり屋が見えましたので行ってみると町の歴史民俗資料館になっています。岩手県の遠野の「曲がり屋」が名を知られていますが、馬と一緒に暮らす曲がり屋は民俗学的にいうと能生が南限です。
 能生から6キロほどで早川を渡りますが、芭蕉はこの急流に足を取られつまずいて転んでしまいました。びしょぬれになった衣を河原の石の上に広げて乾かしたのです。 
 しばらく走ると長野県の白馬村の方から糸魚川街道に沿って流れる姫川を渡ります。この姫川の姫と奴奈川姫と関係が有りそうです。古代この近辺から翡翠が採取されたので奴奈川姫は原石の象徴だったのかも知れません。出雲の大国主命が妃とした意味が分かりますし、出雲崎という地名もきっと出雲と交易があったからでしょう。
    ●國ゆずり 事代主の えびす顔 大黒様に お諫め申す
 姫川(糸魚川)をわたるとすぐに青海にはいります。ここから市振までの十数キロ断崖の切り立つ海岸線を越後路最大の難所、親不知・子不知といいます。
 親不知観光ホテルの脇から海岸に降りる細い道があって、最初は葛折で降りて行けるので少し海が見えるところまで降りてみようかと軽い気持ちで降りたのですが、そのうち細道が一直線に落ちるように海岸に突き進むので、途中で引き返そうにも躰が言うことをきかず、最後は石ころだらけの海岸に飛び降りたのです。海岸は大きな石ころだらけで砂浜は見あたりません。冬とは違い夏の日本海は穏やかです。降りるのに所要した時間は20分、戻りは1時間ほどかかりました。ということで海辺に降りるのは健脚な方だけにお勧めします。
 市振は今までとは打って変わって小さくて穏やかな宿場です。芭蕉は親不知・子不知の難所を越えて夕方市振に着いています。ここで遊女と一つ家に泊まるわけですが、この話しはおそらく創作でしょう。元禄2年の年は伊勢神宮の式年遷宮の年に当たっているので、遊女達の「抜け参り」の話しを創作したのだと思います。

     ●市振の 泊まりし宿の 枕まく 旅寝の床に 潮鳴り聞こゆ      

 『奥の細道』では翌朝、遊女達から伊勢参りへの道中の道連れになってほしいと頼まれますが、われわれは途中、いろいろ寄るところがあるので、他の巡礼者に付いていったほうがいい。神様のご加護があるので無事に伊勢に行けますよと言って断ります。創作とはいへ、なんと無常な男なんでしょう。


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